昨夜はめったに見ない夢を見た。
そこは懐かしい場所だった。
友人と銭湯に入っている夢だった。
小学校1年から3年の1学期まで過ごした岡山の大安寺での事である。
父の会社の社宅が、づらり並んだ社宅村がある。
私達の家は、そこから会社を挟み近くの山のふもとに一軒屋があった。
そこはタヌキや猿が出没していた。
泥棒も偶に出没した。
夜中に高窓から片足が入って来たのを父が見つけた。
偶然起きていたのだろうか。何時もなら熟睡の時間だった。
田舎の事で窓は開けていた。
父が声にならぬ声を上げて、何を言っているのか分からない罵声を投げていた。
翌朝、庭を見ると足跡がくっきりと残っていた。
これは余談でした。
家にも風呂があったが、社宅には、別棟で、銭湯のように大きな風呂があった。
どのようにして成り立っていたのか、子供であった私には知る由もなく、
又知る必要もなかったが、洗面器を用意して社宅に住む友人と一番風呂に良く行った。
遊び場でもあった。
湯船は突き当たりに、横に細長くあった。その細長い浴槽を
天井から垂れ板で男女別に、中央で区切っていただけだった。
なので板下からもぐって男女の浴槽の中を行き来できた。
父親と入っていたわんぱく坊主が よくもぐってお母さんの所まで来ていた。
会社の仲間だけの風呂であり、みんな顔見知りだから
不埒者はいない。
先日友人と訪ねた従兄の家がこの社宅にあった。
叔父は母の弟である。平屋建てであった。何軒あったろうか。
お正月には有志だけで、女性は晴れ着を着て
社員達で集団写真など撮っていた。
女の子は4・5人いただろうか、振り袖を着て羽子板を抱いて写真に収まっていた。
私もそのうちの一人だった。終戦を迎えてまだ3・4年しかたっていない頃だった。
B29は数えきれないほど飛んでいたが、ここは素通りした。
平和だった。
まだまだ昼間のうちだ。
家路に急いで父の会社の広場を横切って近道して帰ろうとした。
兄と弟の姿があった。私もそこへ行った。3人が7歳。8歳。10歳の頃。
そこはすり鉢式の貯水池だった。
網でトンボを追っかけていた。
落ちたら這いあがれない。
そこへ弟が落ちた。
右往左往する兄。
浮き沈みしている弟。
私は夢中で兄の服を脱がせて、池へ落そうとしていた。
「早く助けて上げて!お兄ちゃんだろ」
まだ幼かった私の 忘れ得ぬ恐い思い出の一つとなった。
だが兄は震えて逃げようとする。
そこへ野良仕事の帰りだったのだろうか、男性が池目がけて飛び込んだ。
魚のように泳いで弟の首元を掴んで、鉄棒階段まで連れて来てくれた。
あんなところに階段があったんだ、初めて知ったが
「おまえら○○さんちの子供か?」
「はい」と言うと、弟をおぶって、走って家へ担ぎ込んでくれた。
弟は息はしていた。生きていた。
自宅から2.3分で父の会社だからすぐに連絡して父も飛んできた。
誰がどのようにして連絡したのか覚えていない。
両親が丁寧に頭を下げていたのは鮮明に覚えている。
私は二人の兄弟を失うところだった。
兄が逃げてくれて良かったと思った。
貯水池は会社の持ち物で出入り禁止場所だった。
3人並べて父から雷が落ちたのは言うまでもない。
これは最初に両親に、一部隠した出来事だった。
今まで誰にも言えなかった事である。
あの男性に感謝です。
そして弟が命拾いした1回目である。
2回目があるが又次に。
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そこは懐かしい場所だった。
友人と銭湯に入っている夢だった。
小学校1年から3年の1学期まで過ごした岡山の大安寺での事である。
父の会社の社宅が、づらり並んだ社宅村がある。
私達の家は、そこから会社を挟み近くの山のふもとに一軒屋があった。
そこはタヌキや猿が出没していた。
泥棒も偶に出没した。
夜中に高窓から片足が入って来たのを父が見つけた。
偶然起きていたのだろうか。何時もなら熟睡の時間だった。
田舎の事で窓は開けていた。
父が声にならぬ声を上げて、何を言っているのか分からない罵声を投げていた。
翌朝、庭を見ると足跡がくっきりと残っていた。
これは余談でした。
家にも風呂があったが、社宅には、別棟で、銭湯のように大きな風呂があった。
どのようにして成り立っていたのか、子供であった私には知る由もなく、
又知る必要もなかったが、洗面器を用意して社宅に住む友人と一番風呂に良く行った。
遊び場でもあった。
湯船は突き当たりに、横に細長くあった。その細長い浴槽を
天井から垂れ板で男女別に、中央で区切っていただけだった。
なので板下からもぐって男女の浴槽の中を行き来できた。
父親と入っていたわんぱく坊主が よくもぐってお母さんの所まで来ていた。
会社の仲間だけの風呂であり、みんな顔見知りだから
不埒者はいない。
先日友人と訪ねた従兄の家がこの社宅にあった。
叔父は母の弟である。平屋建てであった。何軒あったろうか。
お正月には有志だけで、女性は晴れ着を着て
社員達で集団写真など撮っていた。
女の子は4・5人いただろうか、振り袖を着て羽子板を抱いて写真に収まっていた。
私もそのうちの一人だった。終戦を迎えてまだ3・4年しかたっていない頃だった。
B29は数えきれないほど飛んでいたが、ここは素通りした。
平和だった。
まだまだ昼間のうちだ。
家路に急いで父の会社の広場を横切って近道して帰ろうとした。
兄と弟の姿があった。私もそこへ行った。3人が7歳。8歳。10歳の頃。
そこはすり鉢式の貯水池だった。
網でトンボを追っかけていた。
落ちたら這いあがれない。
そこへ弟が落ちた。
右往左往する兄。
浮き沈みしている弟。
私は夢中で兄の服を脱がせて、池へ落そうとしていた。
「早く助けて上げて!お兄ちゃんだろ」
まだ幼かった私の 忘れ得ぬ恐い思い出の一つとなった。
だが兄は震えて逃げようとする。
そこへ野良仕事の帰りだったのだろうか、男性が池目がけて飛び込んだ。
魚のように泳いで弟の首元を掴んで、鉄棒階段まで連れて来てくれた。
あんなところに階段があったんだ、初めて知ったが
「おまえら○○さんちの子供か?」
「はい」と言うと、弟をおぶって、走って家へ担ぎ込んでくれた。
弟は息はしていた。生きていた。
自宅から2.3分で父の会社だからすぐに連絡して父も飛んできた。
誰がどのようにして連絡したのか覚えていない。
両親が丁寧に頭を下げていたのは鮮明に覚えている。
私は二人の兄弟を失うところだった。
兄が逃げてくれて良かったと思った。
貯水池は会社の持ち物で出入り禁止場所だった。
3人並べて父から雷が落ちたのは言うまでもない。
これは最初に両親に、一部隠した出来事だった。
今まで誰にも言えなかった事である。
あの男性に感謝です。
そして弟が命拾いした1回目である。
2回目があるが又次に。
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