さざ波のように

人生100年と言います。 もう少しあります。 頑張って、笑って暮らしたい。

昭和15年生まれです。 今なお好奇心旺盛です。

2020年07月

私はもう少しで人殺しになる所でした

昨夜はめったに見ない夢を見た。
そこは懐かしい場所だった。

友人と銭湯に入っている夢だった。


小学校1年から3年の1学期まで過ごした岡山の大安寺での事である。
父の会社の社宅が、づらり並んだ社宅村がある。
私達の家は、そこから会社を挟み近くの山のふもとに一軒屋があった。


そこはタヌキや猿が出没していた。
泥棒も偶に出没した。
夜中に高窓から片足が入って来たのを父が見つけた。

偶然起きていたのだろうか。何時もなら熟睡の時間だった。
田舎の事で窓は開けていた。

父が声にならぬ声を上げて、何を言っているのか分からない罵声を投げていた。
翌朝、庭を見ると足跡がくっきりと残っていた。

これは余談でした。

家にも風呂があったが、社宅には、別棟で、銭湯のように大きな風呂があった。
どのようにして成り立っていたのか、子供であった私には知る由もなく、
又知る必要もなかったが、洗面器を用意して社宅に住む友人と一番風呂に良く行った。

遊び場でもあった。
湯船は突き当たりに、横に細長くあった。その細長い浴槽を
天井から垂れ板で男女別に、中央で区切っていただけだった。
なので板下からもぐって男女の浴槽の中を行き来できた。
父親と入っていたわんぱく坊主が よくもぐってお母さんの所まで来ていた。

会社の仲間だけの風呂であり、みんな顔見知りだから
不埒者はいない。

先日友人と訪ねた従兄の家がこの社宅にあった。
叔父は母の弟である。平屋建てであった。何軒あったろうか。
お正月には有志だけで、女性は晴れ着を着て
社員達で集団写真など撮っていた。
女の子は4・5人いただろうか、振り袖を着て羽子板を抱いて写真に収まっていた。
私もそのうちの一人だった。終戦を迎えてまだ3・4年しかたっていない頃だった。
B29は数えきれないほど飛んでいたが、ここは素通りした。
平和だった。


まだまだ昼間のうちだ。
家路に急いで父の会社の広場を横切って近道して帰ろうとした。

兄と弟の姿があった。私もそこへ行った。3人が7歳。8歳。10歳の頃。
そこはすり鉢式の貯水池だった。
網でトンボを追っかけていた。
落ちたら這いあがれない。


そこへ弟が落ちた。

右往左往する兄。
浮き沈みしている弟。
私は夢中で兄の服を脱がせて、池へ落そうとしていた。
「早く助けて上げて!お兄ちゃんだろ」

まだ幼かった私の 忘れ得ぬ恐い思い出の一つとなった。

だが兄は震えて逃げようとする。
そこへ野良仕事の帰りだったのだろうか、男性が池目がけて飛び込んだ。
魚のように泳いで弟の首元を掴んで、鉄棒階段まで連れて来てくれた。
あんなところに階段があったんだ、初めて知ったが
「おまえら○○さんちの子供か?」
「はい」と言うと、弟をおぶって、走って家へ担ぎ込んでくれた。
弟は息はしていた。生きていた。

自宅から2.3分で父の会社だからすぐに連絡して父も飛んできた。
誰がどのようにして連絡したのか覚えていない。

両親が丁寧に頭を下げていたのは鮮明に覚えている。
私は二人の兄弟を失うところだった。
兄が逃げてくれて良かったと思った。

貯水池は会社の持ち物で出入り禁止場所だった。
3人並べて父から雷が落ちたのは言うまでもない。

これは最初に両親に、一部隠した出来事だった。
今まで誰にも言えなかった事である。
あの男性に感謝です。

そして弟が命拾いした1回目である。
2回目があるが又次に。









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趣味で始めた野菜作りも何時まで続くかな

あと一日で8月に入る。
月,日の流れの何と早い事。
この7カ月は、コロナ騒ぎ、水害、山崩れ沢山の事がありました。
職を失い、家を失い、これらを失わなくても収入が減額になり
死活問題が発生しています。


本当にお気の毒です。
何とか年金で暮らせる自分は幸せだと思う。

久々に長女と夕方買い物に行った。ミニトマトが10個程で
190円もしていた。急いでいたのでチラッと見ただけだが。
キューリは1本60円だったから、妥当かな?
全体的に長梅雨で野菜が高騰している。

庭に植えた花だってそうだ。
撒いた種から芽がでて楽しみにして居たら
根腐れで全部消えてしまった。


昨日午前中に畑へ行って見た。

仲間のTさんが私の姿を見るとすかさず
「キューリが大きくなってるよ」と知らせてくれた。
だが見ると
キューリの葉っぱが全部枯れてしぼんでいたが
5本程大きな実が垂れ下がっているのが目立った。

「根腐れだよ」とTさんのご主人も言われる。

なのになんてこと?
草だけが勢いよく伸びている。

陽が照りだして熱いのなんのって。

そう、そう、水ナスが1個150円だったよ。
ウチの水ナスもこの前行った時、元気が無かったので
秋ナス用に枝葉を短くカットしたら、とても元気になって
小さかったナスが大きくなっており2個収穫出来た。

ピーマンも1本倒れていて、その枝に大きなピーマンが6個付いていた。
あとミニトマトは赤と黄色が両手で2杯程採れた。

Tさんが
「三度豆もきれいなのが沢山出来てるよ」と教えてくれる。

狭い借地だから、お互いの作物が良く見える。
Tさんの畑で小玉スイカが一個落ちていたので
「今日は又落ちない内に採って帰るわ」と見せてくれた。
落ちていたって可笑しいでしょう。
これはスイカのツルを地に這わせずネットに這わせているのです。

小玉だから小さいが立派。

狭い土地をどのように有効に使うか皆さん考えて居られます。
ゴーヤだってトンネルだよ。
その下に葉野菜を植えたりしています。

かぼちゃもネット作り。

私の畑も、少し植えたさつま芋の苗が通路をふさいでしまった。
これも支柱を立てて這わせたら良いのかな。
今日は、根が付いていたツルを剥がして畝に戻した。

一夜あけて、今朝はなんで腰がこんなに痛いのか不思議だったが
草引きで屈んだからであろう。
今までは、腰が痛いと言う事はなかった。

何時もの管理人もどきTさんが
「こんにちは」と紐を持って来られた。

私の畑の支柱を立て直すからであるが
「私と一つ違いで、もうお年なのだから、人の畑の世話焼いて
腰でも痛めたら大変だからもう、しないで下さい」とやんわりお断りした。
すると
Tさんに
「せや、僕とosumiさんと一つしか変わらへんのや。
この畑でosumiさんが一番年上で次が僕やった」と笑う。

私は自分に関係のないことは忘れることにしている。
でないと頭の中いっぱいで破裂する。

人の年などどうでも良い事。

ひとり暮らしだからどんなに野菜が高騰しても
買った方がやすくつく。

肥料や土、石灰、薬、支柱、ロープ、水運び、出費も多いし
何より体力を消耗する。

それでもそれらに勝る楽しみで続いている。


記事を書いた後、必ず読み返しているが
先入観と言うのか、しっかり書いたつもりで見抜けなく脱字など有ります。
補足してお読み下され。








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ひり暮らしって、お天気に合わせてだらしなくても良い

今、テレビに山形大石田の最上川の中継が映っています。
記録的な大雨は最上川も氾濫したそうだ。

いったい今年は何なのでしょうね。
「これでもか、これでもか」と、自然は人間を追い詰める。いじめ倒す。

我が市でも、今、巨大な貯水池を作る工事が昨年から始まっている。
2本の川が市内を横切っているが、今までは危険を感じた事は無かった。
しかし、昨今何が起こるか分からない。
転ばぬ先の杖であろうか。




さて昨日は、朝、計画した「一日のする事」の半分も出来なかった。

1、先ず二階の箪笥置場の整理、断捨離。

2、一階の、4人用の炬燵を二階へあげる。

3、台所の吊り棚の中、3年ほど使っていなかった物を捨てる。

4、生地の整理。

5、裏出入り口付近の掃除。

6、〒局へ墓の管理料の振り込みに行く。


朝のうちは晴れていた。そのうちに雨が降り出した。
これがやる気を失せさせた。

晴れていた所へ中途半端な雨が降り、ムシムシ、ムンムン、汗が滴り落ちてきだした。
水分の補給にソファに座ったが最後、もうする気になれない。

出来たのは、3、だけ。
吊り棚の中はスッキリして、今までキッチンに出ていた
やかん、お盆、ミキサーなどが収まった。

一度にしようと思うからしんどいのであって、少しづつすれば良い。
自分に都合が良いように言い訳して辞める。

これが、おひとり様暮らしの気ままに生きているって事だね。

今日も曇っていたので朝のうちに畑へ行って〒局へ行こうと思ったが
カンカン照りになってしまった。

今日はシナモンのお守の日でもあるし、や~めた。

ブログ書きは一時間以内に終わる事をモットーとしている。
だんだん短文になっていく。
長く何を書くと言うのか。
ネタも無くさらっと日常を披露しておわり。

ランキングに参加して居ない頃は週に1,2回の更新だったから
それなりにネタがあり、長い文章でもあった。
だが根本的には長い文章は、書くのも読むのも苦手で有る。

今は毎日更新しているので、何も変化のない平凡な日常に書くことは無い。
淡々としている。

ランキングも欲を出さず今の定位置で十分だ。
ブログ村のお世話にならなかったら、
皆さんにこれほど読んで頂くことはなかった。

自分の為の日記ならノートに書けば良い事。
公となると書けない事も多々ある。
書いてブログ炎上させた人を何人か見た。


出来たら楽しいブログが書きたい。
根っから書くことが好きだから書いている。ただそれだけ。
何か楽しい事ないかな~。




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大島で着物リメイクしました

ミシンの調子が悪く途中で放うり投げていたワンピースをやっと仕上げました。
ワンピースとしても、着用出来ますがコートにもなります。

春先、秋口など軽く羽織ると良いかな、と思っています。

画像の上でクリックすると写真が拡大します。


DSC06323












DSC06324











至ってシンプルに仕上げました。

遊び心でポケットにアップリケを施しました。
DSC06335












両袖が残っていますので又チュニックでもと思っています。
やり出したら面白くなります。



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娘、孫、二代弾いたピアノの処分

なんだか、又コロナ鬱に掛ったようで、気持が暗くなった。

前回奈良までプリンやイチゴ氷を食べに行った時
妹孫Mが来なかったので会いたくなってLINEしてみた。

「昼間は時間あるから、ランチ行きたい」と返事があった。
「じゃどこかへ行こうか。他に誰か居るの?」
「お母さんが居る」
「じゃ三人で行こう」のやりとりして居たら二女から
「何が食べたいの?」と聞いて来た。
「お寿司か、焼き肉」と返事したら

「12時に迎えに行く」と言う事で止んでいた雨がひどく降ってきた。
「あ~あお婆ちゃんと、どこかへ行くってたら何時も雨や。
ホンマに雨女やねえ」と孫。
「北海道も、上野公園、東京スカイツリー、台湾、みんな雨だったわ」
確かに、確かに。そうだった。

でも今日は違うよ梅雨だからネ

予約とって居るからと
廻り寿司へ連れて行ってくれた。
コロナで遠出が出来ない家族で満員だった。
それより、ネタが凄かった。
数の子も、イクラもてんこ盛り。こぼれていましたよ。

「赤だし」もいつもアラが入っていたのに、しっかり身が沢山入っていた。
お客を呼び戻そうとの計らいであろうか。

デザートもカステラ、アイスクリーム、に生のイチゴスライスが
彩よく散りばめられブルベリーが最後に決めていた、という豪華さで180円。

3人で値段の違う皿も合わせて、寿司は25枚位だったかな。
あとデザートと赤だし、茶わん蒸し。
「私が奢ってあげる」と言ったのは孫だった。
「ええっお小遣い大丈夫?」と私は聞いた。
「大丈夫よ」と孫が笑う。

バイトのお金が入ったのかな?
孫のおごりで昼食は終わって、我が家でお茶と言う事になった。


部屋に入るなりピアノの蓋を開けて「エリーゼのために」を弾き出した。
彼女は幼稚園の時から、先生が弾くピアノに魅了されて習い出した。
教室では早めに行って大きいお姉さんが弾く曲をジッと聞いていたそうだ。
それを家で必死で弾いていたと言う。

我が家で夕食会が有ると、食後、幼稚園の年長組の時だった、
「は~い音楽の時間ですよ。サザエさん唄って下さい」と唄わされた。
♪も読めない内から。

ピアノに関係ある職業に就くと言っていたが、今は全く違う道を目指して猛勉強している。
ピアノは、先生を変えて、まだ習っているようだ。

このピアノは長女、次女が習い、弾いて来たピアノである。
孫も家にピアノがあるが、ここへ来ると先ずピアノの前に座った。
それほどピアノが好きだ。何曲か弾いて聞かせてくれた。


内心このピアノを処分しようかと思っていたのである。

画像は上でクリックすると大きくなります。
BlogPaint









DSC06320











愛着が有るだろうと処分を思いとどまった。



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